会報。愛と死を見つめて。

光一君が生きていることの感謝、まで言葉にしてしまった剛君。
ちょっと前まで全曲2人の合作のKアルバムを、お気楽に楽しみにしてたけれども、ここに到って、受け止める心構えが必要かもと不安になった。Jアルにもちょっとそんな兆しが感じられましたし・・・。
そう思うと「愛かた」「銀色」はまだまだシンプルだった。

以下は更にひとりごと。
30代になると、新しい家族が増えました、という年賀状とともに、近しい方を亡くしたという喪中ハガキが普通になります。若いときの日々の楽しみだけじゃなくて、生きていくしんどさ、喪ったつらさを心の中に共棲させながら過ごしていかないといけない。
周囲には利害の一致する人ばかりじゃなくて。親しい人どころか、自分に対して害をなさない人もすなわち良縁である、と気づく年代だと思います。


人との縁に対する剛君の言葉には共感することが多いですが、会報の「光一くんが生きているということに感謝しながらね。」にも、そう思い至るにはさまざまな出来事があったんだろうなあ、と思いを馳せました。よく周囲の人の裏切りなんかを挙げられてますが、日常的にも、お部屋の水槽のお魚が浮いてたりすると、この人の胸中に小さな痛みが走って、それも積もっていくんだろうなあ。(自分より寿命の短い生き物への愛は本当に切ない…。)


この情の深い人の思いを、どーんと一人だけで受け止めてこられた、そしてこれからも受け止めていく光一君の心中お察し申し上げます。